パタヤの昔と現在までの変化について調べてみた

パタヤの昔と現在までの変化について調べてみた

観光客の増減により街の雰囲気が一気に変化するパタヤ。最近は元気が無くなってきておりパタヤへの観光を躊躇している方も多いと思います。
今回は時代の流れに沿って七変化してきたパタヤという街について調べてみました。

1.パヤタとベトナム戦争

「パタヤは米軍の保養地だった」という話を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。でも、なぜ米軍がパタヤに保養に来るようになったのか、その背景をご存知でしょうか?

実はその理由は1955年〜1975年のベトナム戦争にあります。ベトナム戦争の始まりと終わりには諸説ありますが、ここでは詳細な歴史解説は省き、簡単に背景をご説明します。

ベトナム戦争とタイの関係

 
当時、北ベトナムと南ベトナムが対立し、アメリカは南ベトナムを支援する形で延べ260万人もの兵士をベトナムへ派遣しました。そしてタイはアメリカと同盟関係にあり、南ベトナム側として支援する立場をとっていました。

その結果、タイ国内には米軍基地がいくつも建設され、戦争遂行のために陸・海・空のインフラが急速に整備されました。この動きが、タイの経済発展にもつながったのです。

パタヤと米兵の関係

 
パタヤの近くには、現在もあるウタパオ空港があります。この空港は当時、米軍の空輸拠点として活用され、多くの空爆機や輸送機がここを利用していました。

戦地で過酷な任務を終えた米兵たちは、休暇を過ごす場所を求めてタイ国内を訪れるようになります。その中で、海が美しく、首都バンコクからも近いパタヤの地が注目されたのです。

パタヤの歓楽街の成り立ち

 
こうしてパタヤでは、米兵向けにオープンエアのバーや娯楽施設が多数建設され、アメリカンスタイルの歓楽街が形づくられていきました。現在の「Walking Street(ウォーキングストリート)」の名前も、1960年代にはすでに存在していたという説もあります。

当時はゴミの不法投棄や海水の汚染といった問題も多く、タイ政府の統治が追いつかないほどの急成長を見せました。そのため1976年には、タイで初めて「アメリカ式の都市管理制度(シティーマネージャー制)」が導入されるほどでした。
 

ベトナム戦争という大きな国際紛争が、実はタイ、そしてパタヤという地域の発展のきっかけとなったことは、あまり知られていない事実かもしれません。
タイ全体の経済発展に貢献しただけでなく、パタヤの今の姿をつくるきっかけとなったのは、米軍とベトナム戦争だったのです。

  

2.ロシア人・中国人・インド人

かつては「パタヤ=米軍の保養地」というイメージが強かったかもしれませんが、今のパタヤを歩いてみると、アメリカ人よりもロシア人・中国人・インド人の姿が目立つようになってきました

上の写真は約3年前に撮影したものですが、当時は爆音を響かせた派手な車がビーチロードを走り抜けるような光景もありました。街を歩く人々の国籍も実に多様で、国際色豊かな雰囲気が漂っていました。

観光地としての進化とロシア人の存在感

 
ベトナム戦争の後、パタヤはタイを代表するビーチリゾートとしての地位を確立します。そして長年、タイへの観光客数ランキングでロシアは常に上位に位置してきました。

特にロシア人はビーチリゾートを好む傾向があり、パタヤ、プーケット、クラビなどが人気。中でも、バンコクからのアクセスが良く、短期旅行にも最適なパタヤは、多くのロシア人観光客に支持されてきました。

中国人観光客の台頭と不動産投資

 
時代が進むと、中国の春節シーズンに合わせて、中国人観光客が大型バスでパタヤに押し寄せる光景が見られるようになります。

経済発展が著しい中国から来た観光客の中には、パタヤでの不動産投資を目的とした人も多く、今でも市内では中国語の看板や案内資料がいたるところで目に入ります。パタヤの不動産会社には、中国語対応のパンフレットを常備しているところも珍しくありません。

インド人観光客の存在感も急上昇

 
最近では、「パタヤにはインド料理店が多い」という声もよく聞かれます。それもそのはず、インド人観光客の数が増えているのです。

インドはもともと人口の多い国ですので、その中のわずか数%がタイを訪れるだけでも、観光業にとっては大きなインパクトがあります。

旅行にかける平均予算は比較的少ないとされていますが、富裕層のインド人は想像以上の資金力を持っており、パタヤで豪遊する人も少なくありません。その結果、インド料理店は安定したリピーターを獲得できているのかもしれませんね。
 

国籍が街をつくる。これぞパタヤの魅力?

 
パタヤは、集まる国籍によって街の顔が変わるという、他の街にはないユニークな特性を持っています。例えば、ロシア人が増えればロシア料理店が、インド人が増えればインド料理店が並ぶといったように。

近年は空き店舗も増えつつありますが、果たして次にこの街でチャンスを見出すのはどの国の人たちなのでしょうか。今後のパタヤの変化にも、引き続き注目していきたいですね。

  

変わり続ける楽園・パタヤで過ごす最高のひととき!

「パタヤって昔はアメリカ人の保養地だったよね?」なんて言っていたのも今は昔。
2025年のパタヤは、世界中の人々が集まる“グローバル・リゾートシティ”としてさらに進化しています!

ビーチロードの散策は、まるで世界旅行!

 
昼間のビーチロードを歩けば、そこは小さな地球

ロシア語、中国語、ヒンディー語、英語、日本語…あらゆる言語が飛び交う中、南国の風と太陽に包まれてのんびりとした時間が流れています。

ビーチ沿いでは、ココナッツジュースを片手に談笑する家族連れ、サンセットを待ちながらヨガを楽しむ旅人たちの姿も。
そして、陽が落ちれば…パタヤの真骨頂、ネオンきらめく夜の街へ

夜のパタヤは「世界のB級グルメフェス」

 
ウォーキングストリートでは、タイ料理の屋台の隣にインド料理、さらにその奥にはウクライナ風のケバブ屋台まで登場。まるで世界のB級グルメフェス状態!

そして聞こえてくるのは、EDM、K-POP、ボリウッドミュージックまで混ざったカオスな音楽。これが2025年のパタヤの夜、最高に楽しくて自由!

 

パタヤは今がいちばん面白い!

アメリカ、ロシア、中国、インド、そして日本。あらゆる国の文化がミックスされた2025年のパタヤは、まさに**“アジアのミニ地球”**。
遊びも、食も、宿泊も、どれをとっても自由で多様。そして、どこか懐かしくて温かい。

「次の旅行先どうしよう?」と迷っている方、
2025年のパタヤは、最高に今っぽくてエネルギッシュな楽園ですよ!

  

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