Vol 1. 39(サンキュー)ノート開始にあたり

Vol 1.  39(サンキュー)ノート開始にあたり

ベリーモバイル、クラウドルームなどの事業を運営するa2network Thailand代表の伊藤大己と申します。

これまで情報発信のブログやコラムは各サービスドメインサイトごとに運用していましたが、この度、ひとつに取り纏めた「日刊ベリー通信」というオウンドメディアを新たに開始しました。

ベリーモバイルショップでは、年間に延べ2万人を超えるお客様(※コロナ前)をお迎えさせて頂き、対面以外にもメールや電話、コーポレート商談等、お客様との対話を大切にしてきました。この積み重ねの中で、お客様からのフィードバックやトレンド、また、携帯サービスやITビジネスを通して、タイに根付いたB2C事業運営をしている立場だからこそ発信できる情報があるので、今後も独自の切り口で情報発信し、少しでもタイで活躍される日本人の皆様の貢献に繋がれば幸いです。

その一環として、私もコラムを引き受けさせて頂くことになりました。毎週金曜、週1ペースでゆるく発信させて頂きたいと思いますので、お時間があるときにでも、少しお立ち寄り頂けましたら幸いです。

39(サンキュー)ノートの由来

ベリーモバイルは、2008年にバンコクのスクンビット・ソイ39で始まりました。

七転八倒、試行錯誤しながら何とか今生きている状況ではありますが、まずは、この場を借りてお客様、取引先様、社員の皆に感謝したいと思います。

特に、質の高いお客様に恵まれていることには感謝しかありません。

数年前に、スタッフのサービスクオリティ向上を目的として、日本のドコモショップ勤務の方を出向としてお迎えした時期がありました。その出向者の方々が口を揃えて「ベリーモバイルのお客様は本当に質が高い、温かい、距離感が心地良い」と言ってくれて、今でも嬉しい言葉として印象に残っています。

今まさに弊社が生き延びていられるのは、このような質の高いお客様に支えられているからであり、そして、そのお客様の質の高さに甘えることなく、お客様の立場に立って出来ることを先回りして考え、行動しよう、という姿勢を今後も忘れずに継続していきたいと思います。

そんな初心を忘れないように、スタート地点であるソイ39と、感謝の意味も込めて、サンキューノートと命名しました。

 

私のベリーモバイル12年史

実は、ベリーモバイルはドイツで初めに生まれました。2006年にスタートし、当時はまだ固定電話やガラケーが主流で、スマートフォンの普及率は10%未満でした。

ガラケー全盛期に、Nokia端末の日本語化やNHK文字情報配信など、祖業はとても意欲的で技術志向の高いテクノロジーカンパニーでした。その後、様々な変遷を経て、現在のベリーモバイルの形になるのですが、その間には、Nokia、Blackberryの盛衰、AndroidによるモバイルOSの民主化、iPhoneの隆盛など、モバイル業界はグローバル規模でディスラプトとイノベーションの連続でした。

日本の携帯・スマホ市場も大きく変わり、ガラケー時代にはiモードで世界のロールモデルになっていたモバイルデータエコノミーが、グローバルではスタンダードになり切れずに出遅れ、ガラパゴス化と揶揄されていきました。SIMフリーの流れや、MVNOなどに代表される格安SIM、楽天の新規MNOの参入も最近のトレンドと思います。

そのような混沌の中にあり、私が参画してからの12年間でも何度か弊社にもチャンスがあり、勝負に出たこともありました。東南アジア6か国に進出、そして数年でほぼ撤退、技術部門の解体など、軸足がブレまくり、迷走・紆余曲折の連続の時期もありました。干支も一回りしたこのタイミングで、これまで沢山の苦労や辛酸を舐めた出来事、良かったこと・嬉しかったことも含め、機会があれば少しずつこのコラムの場で振り返っていければと思います。今後、海外でチャレンジしたい方や、起業を志す若者などの気付きになれれば本望です。

 

自己紹介

簡単に自己紹介をさせて頂きます。

伊藤大己(いとう・だいき)

法政大学の工学部・経営工学科(今は違う学科名になってるらしい?)2002年卒です。今月2021年11月でタイ生活丸8年になりました。その前はシンガポールを拠点に4年弱と言う感じです。気付けばもう、12年くらい海外生活をしています。

2009年にサラリーマンを辞めて、シンガポールに単身で乗り込みました。当時、まだ新婚だったのですが、妻を日本に置き、シンガポールで起業しました。その後に2011年からa2networkにアジア分掌取締役として参画するわけですが、ここにもいろいろな背後関係や人間ドラマもあり、ここで書けることは後々、書いていきたいと思います。何より、こんな生き方を認めてくれ、背中を押してれた妻には今でも頭が上がりません。

今は7歳と3歳の息子がいて、2人ともタイで生まれ育ちました。息子たちはほぼ日本を知りません。特に下の子は、コロナ禍で一時帰国も出来ていないので、日本人としてのアイデンティティが失われることが少し気掛かりでしたが、そこは振り切って、国際人というアイデンティティを持つ逞しい子に育っていって欲しい、というのが最近のささやかな願いです。

アライアンス・業務提携のご相談や、サービスについて苦情をひとこと言いたい等ありましたら、気軽にご連絡ください。

伊藤大己 : ito@a2network.jp

 

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