Vol 6. メリークリスマス。

Vol 6.  メリークリスマス。

今日はクリスマス・イブ。

当社オフィスのあるエムクオーティエの下は、連日アーティストが生演奏やオーケストラで常夏のクリスマス感を演出してくれている。

クリスマス前後は、1年の反省を頭の中でグルグルと反芻する時期で、浮かれた街の雰囲気が後押しくれる点では、暗い気持ちにならないのが良い。
今年の業績は散々なモノだった。それなりに危機に備えて事業ポートフォリオは組んできたつもりだったが、全く歯が立たなかった2021年だった。最近は、車の渋滞が特に酷いが、それもパンデミックの終焉を想起し、歓迎したくなるくらいだ。

辛い1年ではあったけど、普通なら経験できない充実した1年でもあった。

辛い時は、横棒一本足してみろ?

中学の時に担任の先生から、
「辛」い時には横棒一本足してみろ、そしたら「幸」せになるんだ。幸せは、辛いことを乗り越えて掴むものだ、的なニュアンスで講釈された。

この先生が自分で考え付いたとは思えず、恐らく有名なフレーズなのだろう。周りの受験を控えた同級生たちは、盲目的に頷いていたことに違和感も覚えながら記憶に定着している。

自分は、この禅問答を聞いた瞬間、頭の中で奪い合い・搾取の世の中を連想した。
この「横棒一本」の正体をあえて先生が有耶無耶にしたのは、生徒たちに考えさせる余白を与えたものなのだろうが、「何なんだよ、この横棒一本って、、、?」とずっと奥歯の詰め物状態だった。今考えれば、「努力」や「友愛」的な思考が思春期の模範解答だろうが、当時の頭の中では全く別のイメージがあった。

「辛」と「幸」は、紙一重。
この一本棒の取り合いがドロドロとした大人の世界だ、世の中は、搾取する側とされる側、幸せの総和は決まっていて、その一本棒の取り合いに敗れた者は辛い人生を送り続ける厳しい世界だ、、、というのが中学時分の答えだった。大人になってからも、当分は同じような考え方だったと思う。

時は今。
この立場、この年齢、このパンデミックを経験して、この横棒って、実は大量生産も出来るんじゃないか?って思えてきた。
そもそも、辛いと幸せは対義語では無い。これまでの辛い時期を振り返ると意外と楽しい思い出として残っている。辛いも含めて、幸せの一部だと思えるし、辛さも仲間と楽しみながら乗り越えたら、幸せも感じられる。

つまり、横棒は内面からの捉え方次第でニョキニョキって生み出すことが出来るんじゃないかな?と。そして、辛い人には率先して、自分の横棒をギフトして、また自分は辛くなっても、ニョキニョキって無限増殖し続けられれば、ずっと自分は幸せでいられるし、他人も幸せにし続けることが出来るのではないか。

この横棒一本をニョキニョキって無限増殖できる力をパンデミックを経験する中で身に付けられたかも知れない。これが、コロナの一番の収穫と思えるに至った。

これが、「辛」と「幸」の横棒一本問題の30年近く経った自分の解答です。先生、合ってますか?

幸せが無限増殖される世の中をキリスト生誕祭に祈りを捧げたいと思います。
アーメン。
ということで、今、辛いとお困りの方、自分の横棒で良ければ、一本、差し上げます。

めりくり。

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