Vol 10. 一寸法師リスク論

Vol 10.  一寸法師リスク論

むかしむかしあるところに、お爺さんとお婆さんがいました。
ようやく待望の子宝に恵まれましたが、その子はとても身体が小さく、一寸法師と名付けられました。
、、、と始まり、最後は、鬼退治して都(みやこ)の英雄に。逃げる鬼が落とした打ち出の小槌で体を大きくしてもらって立派な青年に。お姫様の婿にもなって、お爺さん・お婆さんも一緒に暮らすことになった、とさ。めでたし、めでたし。

息子に読み聞かせすると、いつも先に寝てしまうが、一寸法師は何かツッコミどころが多くて、目が冴えてしまった。

この物語の示唆はなんだろう?

都を騒がしている赤鬼があらわれ、清水寺へお参りに行った帰り道の春姫をさらおうとした。他の家来たちは腰を抜かしたり逃げ出したりする中、一寸法師だけは鬼の前に立ちふさがって春姫を守ろうとした。しかしあっけなく鬼につままれて、食べられてしまった。
ところが一寸法師がお腹の中で針の刀でつつきまわるので、さすがの鬼も二度と乱暴しないから許してくれと嘆願し、泣きながら逃げていった。春姫は鬼の忘れた打ち出の小槌で、一寸法師の体を大きくした。

引用元

 

と言う経緯で、一寸法師は英雄になったようだ。
哲学的にこの物語のメッセージ性を咀嚼すると、”勇気を持ってリスクを恐れず立ち向かえば、大きな難敵でさえも打ち負かせる” という示唆?が、正しい?

一寸法師は、小指の大きさ位らしい。一寸という長さは3cm、とのこと。
鬼は人間よりも大きそうなので、相当な体格差ということになる。
仮に、鬼が人間の1.5倍とすると、一寸法師は人間から見たら3cm÷1.5=2cmの大きさと言うことになる。2cmとは、1円玉の直径と同じだ。
鬼の胃腸がどれだけ弱いか分からないが、1円玉大の英雄が針の刀とやらで胃の中刺しまくったところで、ひえぇぇぇ参った、もう悪さしません、と言って、(大事な?)打ち出の小槌を置いてまで逃げるか?そもそも食べないで踏んづけるだろ。

明らかに勝算の無い戦いだ。

「リスクを恐れてはならない!チャレンジあるのみだ!」と言って、1円玉大の社長が、人間大の相手に針の刀だけで戦いに行く、と言う会社なら、自分が社員なら間違いなく次の日に辞表を出す。

 

戦略を考える

この場合、達成したい目的が大きく分けて2つあるとする。

1.身体が大きくなりたい、という一寸法師の願い
2.鬼を退治したい、という住人たちの願い

これは実はトレードオフ(どちらかのみが達成しうる二律背反)では無く、順序立てて達成できる目標だ。

自分が一寸法師だとして、戦略的に進めるとしたらどうするだろう?

鬼に奇襲にあって、お姫様がさらわれたのは、一旦諦めよう。自分ならここで一度、鬼たちの仲間になって懐柔してみる。針の刀は捨てて、自分が小さいということを逆に活かせば、相手も油断しそうだし、入り込む余地は十分ありそうだ。

次に、潜入できたら、まずは何とか打ち出の小槌を奪う。そして、打ち出の小槌を使って、ひとまず自分が大きくなっておこう。その直後、姫は置いて、一旦、都に逃げる。
そして、都の家来たちや住人を勇気付けて、「一緒に戦おう、なぜならこの戦略があったら必ず勝てるからだ!」と仲間を増やす。そして、鬼たちの陣容もある程度把握できているので、一度入り込んだ知見を活かし戦略を練り、お姫様救出作戦で奇襲をかける。

 

リスクを恐れるな、は部外者が適当な立場で勝手なことを言っていることが大半

「日本人はリスクばかり口にして全く事が進まない。」こと海外ではよく聞く話だ。
例えば、不動産用地やビジネスアライアンスなど、日本企業は決定権のない担当者が何度も来て、「一旦、持ち帰り」になる。その点、中国人は好まれる。即決・即金のケースも多いからだ。

そりゃ、商売となれば中国を向くわな、、、と思う部分もあるが、良い事ばかりのはずがない。その後の継続的な取り組みの中で、現地側が痛い目を見るケースも多い。実際、他国が食い散らかしたものを日本企業が整理・回収、という落穂拾い的な役回りも多い。

当事者しか分からない判断材料が必ずあるはずにて、部外者が無責任に論じること自体、意味は無い。日系企業のプレゼンスが落ちてきたと言われているが、日系企業と組みたいというタイ企業が未だに多いのもバリューが浸透しているからに外ならない。正しい戦略さえブレなければ、何の問題も無い。

1円玉大の一寸法師が、丸腰(実際は、針の刀は持ってるらしいが)で、鬼退治に挑むことはリスクとは言わない。ただの無謀だ。運良く鬼退治できたからと言って、後世まで称賛の文脈で伝承されるべきではない。ここで登場している家来たちの「逃げる」、という行為こそ最適な選択かも知れない。目的(ここでは鬼退治)の為に、虎視眈々と戦略を練っている中で今はまだ逃げる時期だ、ということならば、それはそれで良い作戦とも言える。即決しない日本人と揶揄されようが、針の刀で1円玉が1人で立ち向かうより、よっぽど勝算は高い。

 

一般的なリスクは恐れるどころかオイシイ果実

「逃げる家来たち」に向けて、断片的にしか見えてない部外者がリスクヘッジばかりで勝負してない、などと蔑んではいけない。同時に、逃げることが目的化した議論は、実は一番リスクが大きい。現状維持では、いつかは鬼に滅ぼされるからだ。

打ち出の小槌を手に入れたいから鬼に懐柔する、という手段は一般的に見ればリスクをテイクしている。ここで、仮に鬼退治が達成できなくても、打ち出の小槌が入手できたとしたら、それだけで十分な見返りと言える。また、鬼の顔は怖いけど、もしかしたら中身は良い奴らで、正面から交渉したら、打ち出の小槌を貰えるかもとか、村人とも共存共栄できるかも、という対案も出てくるかも知れない。打倒だけでない交渉や対案は行動したことで享受できる選択肢の幅となる。

一般的に見ればリスク、と書いたが、この戦略に基づく行動、これはタクティクスだ。当然、計算外のことや前例が無いことが伴う。だから、周りが勝手にリスクと誤解して尻込みしてくれることもある。行動を起こした者だけが見える景色もあって、その時初めて次の選択肢という視界も拓ける。要は行動に移して、一歩踏み出したもん勝ちだ。恐れるなんてもっての外で、我れ先にと食べたいオイシイ果実のはずだ。

これをリスクと呼んでしまっている人たちの集団は早晩、鬼たちに滅ぼされるだろう。
いつかは誰かが鬼退治してくれるだろう、という他力本願も論外。期待の1円玉大の勇者は、いまだに針の刀の剣術を磨き続けてる可能性が高い。

息子たちよ、君たちは、自分で考え、自分の力で一歩踏み出し、そして、、、

 

面倒なオヤジ

、、、なんて講釈を、一寸法師を読み聞かせながらブツブツと説いていたら、あっという間に息子たちはイビキを搔いていた。そりゃ、そうだ。自分でも面倒なオヤジと思う。

そんな自分は、今日で42歳になった。

そして、この一寸法師のお爺さんとお婆さんが
な、な、なんと、、、42歳設定だったという衝撃!!
自分はまだまだ若いと思っていたが、お爺さんになっていたとは、、、

頑固でめんどくさいジジィにだけはなりたくなかったのだが、、、
まさに面倒なジジィになった瞬間でした。

めでたし、めでたし。

 

 

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