Vol 19. 老人たちよ大志を抱け

Vol 19. 老人たちよ大志を抱け

日本がまん延防止措置を解除した。大勢の意見を踏襲したつもりで発動したのだろうが、その後のメディアの煽り方は酷いものだ。大博打に出た、なんてセンセーショナルな見出しも踊っている。岸田さんは、ある意味日本を象徴する調整型のトップ像であり、与党内ではコンセンサスが取れていたのだろうが、金融市場や現役世代の冷ややかな反応を見る限り、時代錯誤感は否めない。老人に祀り上げられた老人が意思決定を繰り返す日本が滑稽に映る。

大衆の意見

ネガティブな意見のアジテーションは共感を呼び、その声は大きく轟く。恐らく、岸田さんは、大衆がそうして欲しいと言ってたはずなのに、、、と困惑してるのではなかろうか。大衆とは、見誤られがちな存在だ。

意思決定は、時には専制的で、独善的で良いと私は思っている。説明を尽くしたとて、影響範囲や全容を理解できる人間は意外と少ないもので、近視眼的な反対意見だって出る。それも1意見としては聞くが、断片的・短絡的な反対意見までも同じ1票で取り扱うことは危険だ。多くの意見は拝聴した上で、最後はトップが独断で決めるしかない。反対意見を与しない意思決定も伴うので、ここがトップは孤独、と言われる所以でもある。

調整型のトップなんて、逃げであり、良い人で在り続けたいだけの、ただの言い訳トップだと私は思っている。多数決では結局、空っぽで中身のない非生産的な施策に陥る。近視眼的な一般大衆と、大局的に未来を作るべきトップが同じ目線で語れる筈が無いからだ。独善的だろうが、向かうべき方向性で合意形成し、巻き込める人間であれば流されないし、周りも付いてくる、と信じてやるしかない。

しかし、それを続けていくと、今度は全ての正しい決断は自分が下したからだ、という錯覚に陥り、独裁的になっていく。

トップも人間。同じ弱い生き物である。誰しも孤独は耐えがたいし、独裁的になってしまう恐れもある。間違える時もある。そこで活躍すべきが老人だ。そういう意味で、老人と括ったら失礼だが、私には日本本社に20歳近く年輩の代表がいるのは光栄なことであり、大きく道を踏み外さずにいれる安心感はある。

 

ゼレンスキー氏の国会演説を見て

私は、市民生活を脅かす侵略戦争は絶対に反対だ。そこに言及するつもりは無いが、同世代であるゼレンスキー氏の言動に大きな関心がある。彼は、元コメディアンで政治素人とのことだが、ビジネス界では無名から成り上がった経営者は沢山いる。型にはめて前例主義で物事を決めるより、前例に捕らわれずフラットな若い思考でその都度、最適解を選んでいく方がパフォーマンスは高いと確信している。その点では、政治家だろうが、経営者だろうが、素人でも場数を踏めば出来るはずだ。若いうちにトップに立ったゼレンスキー氏は、これまで失敗もあったと思うが、彼のリーダーシップはとても勉強になる。

ゼレンスキー氏の演説よりもセンセーショナルだったのが、日本側の国会の光景だ。あんなに、お爺ちゃんが沢山いる画を初めて見たかもしれない。日本にずっと住んでいたら違和感なかったと思うが、日本を離れて久しいからか、とても異様な光景に映った。タイも少子高齢化が進んでいるとはいえ、あそこまで老人が集まっている画を見たことが無い。共産圏の国々でたまに見掛ける気もするが、資本主義の、一応、先進国を自称する国のトップが集まる光景としては、むしろ、圧巻だ。

 

老人たちの威圧感

若かりし頃、日本で大手企業に案件で入り込もうとしたときに、その難しさを感じ、場違いな印象を受けた。ハナから舐められて、話を聞く態度にもなってもらえない、見下した態度で人として扱ってもらえない、そんな目に見えない壁を感じていた。その時に対峙した方々もかなりのご年配だった。

今回のゼレンスキー演説の日本側を見て、そのトラウマが蘇ってきた。吐き気がするくらい、老人が集まると見えない壁がある。あれを見た海外の若者が日本で働きたくなるとは思えない。外国企業が日本と組みたい、日本に進出したい、とはならないだろう。そして、あそこから未来的でイノベーティブな方針が生まれるとも到底思えない。

そこを乗り越える努力を重ねるべきだろうが、私は日本で勝負することを諦めた。海外企業へのプレゼンだったら、大手企業相手でも対等に話が進められる手応えがある。良いものは良い、こういうところでNGだ、ときちんとフィードバックしてくれるし、言語やカルチャーの障壁を差し引いても、ビジネスとして正当な土俵で勝負できる感覚がある。

 

老人活用

海外企業が(と言っても、私の場合は主戦場のアジアに限る話かも知れないが)、耳を傾けてくれるというのは一定のJAPANブランドが未だ健在だから、という背景は存在するだろう。それは、今の老人たちが作ってくれた礎があってのものだ。その点には大いに感謝している。

最大限の謝意を伝えた上で、やっぱり、一旦、老人には現役を退いて頂きたい。
国会議員も定年制を設けて、既得権益も全部手放してもらえないかな?
終身雇用が崩壊した、と言われて久しいが、作ったのも、壊したのも老人世代だ。
老人世代が形成する異様な雰囲気は、来るもの拒む印象を受ける。
第一線で働いてもらうより、豪遊してくれた方が経済の貢献に繋がる。もっと遊んでは如何か?

30代~50代の現役世代にバトンタッチして、時には失敗を犯しても、温かく見守り、老人は下支えする世の中へと早期に移行すべきと思う。

私もいつか老人になる。自分は、どこかでスパッとビジネスの世界から身を引くだろう。その後、数年は遊び惚けるだろうが、それもすぐ飽きそうなので、そうなったら、若者を支える優秀な秘書を目指したい。20年後の日本は年金制度崩壊が始まり、現役世代1.8人で高齢者1人を担ぐ時代が訪れるようだが、自分は担がれるなんて御免だ。

現役世代が中心にビジネスを回す前提で、資料もすぐ作ってくれて、市場調査も完璧、プログラミングも出来て、英語も堪能な超優秀な老人を秘書に持てる、という世の中なら明るい未来になると思いませんか?現役世代が老人を支えるのではなく、現役世代が優秀な老人を取り合う世の中に向かうべきだ。老人こそ、過去の栄光は一旦捨てて、学習を怠らず、老害と言われない努力をしたら良いと思う。少なくとも私は、若い頃に一定の成功を収めながらも、晩年は縁の下の力持ちに徹するような老人の生き方に憧れを感じる。

そんな世代交代のカルチャーが醸成されれば、日本もタイも未来は明るい。
この会社も20年後、伊藤が下支えしたくなる若者で溢れる会社になっていて欲しいものだ。
(それこそ、やりにくいと言われて、老害扱いされそうだが、、、)
 
 

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