Vol 24. レール

Vol 24. レール

「24時間働けますか?」
バブル時代を象徴するフレーズ。

失われた平成、失われた20年、、、最近では失われた30年と言われるが、そろそろ40年って言うのかな?
そもそも、失われた、って何を取り戻したいんだろうか?

確かに、今の日本経済は相当ヤバい。
しかし、バブル期のQoLはもっとヤバかったと思う。

僕は、その当時を知らない狭間世代だが、想像するに、モーレツ社員が24時間働き、ブラック企業のオンパレードで、過労死も多く、差別やハラスメントも多かったと思う。バブリーな生活を送っていたのも一部の人たちだけで、今のようなSNS時代であれば、格差が強調されて生きづらいと感じる人も多いだろう。

企業の設備投資・R&Dに及び腰な姿勢、生産性の低下、給与水準の頭打ち、ひいては個人の節約志向など、マインドは未だにバブル崩壊を引きずっている。反面、失われているらしい今は、食うに困らず、モノも揃い、エンタメも充実して、生活インフラも整っており、働き方の自由度も高い。大部分の人が、バブル時代よりは今を生きる方がハッピーなのでは無いか?と思っている。

では、どこに向かいたいのか、、、
「迷子の30年」、と言った方がよっぽどしっくりくる。

戦後復興期から高度成長を支えたグランドデザインは明るい未来志向だったと思うが、未だにそのときに敷いた「レール」への強い信仰心がこびりついているところが、次のフェーズに向かえない一番厄介なバブルの遺産だと思っている。

 

インスト vs コンサマ?

「勝ち組になるために、いっぱい勉強して、良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入りなさい。」僕も、ごくごく一般的な、レール信仰強めの家庭に育った。

目の前の楽しいことを犠牲にして勉強しなければならない、という強迫観念が苦痛で仕方が無かった。青春も謳歌したいし、今しか楽しめないことを楽しむべきだ、親のいう事なんか聞きたくない。思春期特有の単純思考が輪をかけ、長い長い反抗期を迎えた。親にも、たくさん迷惑をかけた。

「インストゥルメンタル」という言葉がある。略して、インスト。
将来楽しむ為に、今という時期は我慢し努力を重ね、犠牲を払う考え方だ。
良い会社に入る為に、遊びたい時期に青春を捨てて勉強を続けるような、まさに我々世代(今もかな?)の象徴的な哲学だ。

対して、「コンサマトリー」と言う言葉がる。略して、コンサマ。
刹那的に、目の前のことを楽しむ生き方や考え方だ。ヤンキーたちの「勉強なんてやんねーよ、今楽しきゃ良いんだよ」、のそれに近いかも知れない。

実は、僕はずっとコンサマな人生を歩んできた。(注:ヤンキーでは無い)

 

誰かが作ったレールという刷り込み

コンサマ的に刹那主義で生きてきた甲斐もあり、学生生活は楽しかった。
でも、周りのヤンキーたち程、大きく道を踏み外しはしなかった。
大学にも現役で受かり、4年で卒業もした。
しっかり、レールにも乗っている。

少し道を外れた時期もあって、高2からヤンキー高校に転校してしまうことになるのだが、大きく踏み外さずに済んだのは、単純にテストの点数が良かったから。学生時代は、大義を持って勉強などしてこなかったけど、遊んでいても、そこそこの点数が取れていたので、高校・大学への進学を諦めずに済んだ。
周りのヤンキー達と同じ人生は歩みたくないと思い始めたときに、レールに復帰する可能性を残せたのは、親から受けた幼少時代の基礎教育に感謝すべきだが、反抗期には気付かないものだ。

その後、大学在学中にインドと出会い、うだつの上がらない学生生活に終止符を打てた。

インドは、当時まだまだ根強いカースト制度があったが、IT分野だけはカーストを外れて職に就ける、米国でチャレンジしてアメリカンドリームも掴める、とインド人学生たちは目を輝かせ、インスト思考のようだが、熱中具合はまさにコンサマだった。

日本のフワッとしたレールよりは、バシッと職業も安泰な中で、国として成長著しい重点産業に例外を与え、熱中する学生のモチベーションを振り向ける。こんなインドの制度設計は、偶然の産物とは思うが、学生時分ながら秀逸だな、と羨んだものだ。

 

レールの上に戻りたい

僕の通ったヤンキー高校からは大学受験者はほぼゼロで、僕が唯一の現役合格生になった。部活もやっていたので、高校3年の夏から勉強を開始した。

学校では受験対策はおろか、授業もろくに行われなかったので、高3夏から全カリキュラムを1から独学で猛勉強した。毎日15時間以上は勉強していたが全然時間が足りず、全国統一模試も実力を測る目的ではなく、勉強の延長だった。数学のテスト中に、自分で公式や解法を編み出したりしていた。テスト後に参考書を見て有名な公式だったことを知り、遠回りなのか近道なのか分からないが、お陰で今でも記憶に定着している。2月の最終模試まで試験範囲の勉強が追いつかず、最低ランクの大学も含めて全てがF判定、と最後まで模試の結果は散々だった。

それが、蓋を開けてみたら、受験した7校全てに合格したのだ!

最終模試が終わった後にようやく試験範囲が終わったので自分の実力も計れず、どこかに引っかかれば良いなという思いで片っ端から受験した。もっと上を目指せたかな?という欲目が無いことは無かったが、とにかくレールに戻れたことの安堵の方が大きかった。既に親からは見離され、現役で受からなければ働け、と言われていたので、レールに復帰することに必死だった。それがたまたま実った形だ。

これが大きな自信となり、いつでもレールに復帰できる味を占めてからというもの、大学でも好き勝手やらせてもらい、大学卒業後も新卒で就職せずにカナダへ渡った。
反抗期がまだ続いていたのかな?

 

レールの正体

コンサマトリー、インストゥルメンタル、と二元論的な言葉出しをしたが、実は誰もが、今楽しい生活を送り、これから先も楽しい人生を送りたいと思っているはずだ。

それは必ず出来る、と断言できる。自分がそういう半生を送ってきたから。

周りの日本人を見ると、この良いとこ取りすることが、罪悪感があるように思える。この阻害要因が「レール信仰」という日本独特の悪しき宗教的概念、というのが自分なりの仮説だ。自分で責任を持って決断することから逃げて、「レール」さえ踏み外さなければ大丈夫だ、という誰かが敷いた古き幻想を妄信し、思考停止になるのが諸悪の根源と思っている。

レールから外れることは、確かに怖い。
自分も怖かったから、完全に踏み外さない中で器用にやり過ごしたところはある。
しかし、レールの上で過信する方がもっと怖いことだ、と今は感じる。レール上で梯子を外された暁には、他責になり、愚痴っぽくなり、不健康に陥る。それが、「失われた30年」という言葉の逃げ道で、社会全体へ責任転嫁しているのと全く一緒の構造だ。実は、僕ら世代から始まった無機質で非未来的な(レールに敷かれた)選択の連続が招いた結果だと自覚すべきだ。

レールの正体は、王道以外は邪道、のような雰囲気そのものだ。
今盛り上がっている業界や企業だって、いつまで続くか分からない。盛者必衰、レール乗って逃げ切ろう、なんて甘いと思う。大企業トップだって、国のトップだって、実はくっきり未来は見えてはいない。VUCAの時代なんて言われる世の中で、レールなんて幻想でしかない。

自分で決断した道を信じ、行動し、
将来の為に今を犠牲にする必要は無く、
ワクワクする未来を見据えて、
今を、楽しく、正しく、努力しよう!

 

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